ところで、男の私が何故に少ないながら少女ファンタジーを読んでいるかと言いますと、
あるきっかけがあったからです。
私が少女ファンタジーを読む契機となったのは、
前田珠子さんの「隻腕の神の島」(角川スニーカー文庫刊、全6巻)との出逢いでした。
前田珠子さんは、少女ファンタジーを読んでいる方なら誰でもご存知でしょう。
ロマンティック・ファンタジーの大家です。(注:「おおや」ではありません。)
「隻腕」は前田珠子さんが角川スニーカー文庫で書いた初めての作品でした。
これは、少女ファンタジーの人気作家が角川スニーカーという少年向けの文庫に進出するという点では、
「レディ・ガンナー」と似ています。
ただし、「レディ・ガンナー」と「隻腕」の明確な違いは、
「レディ・ガンナー」のイラストが少年ファンタジーの印象が強い草河遊也さんであるのに対して、
「隻腕」のイラストはバリバリの少女漫画家、麻々原絵里依さんだったことでした。
つまり「隻腕」は純粋に少女ファンタジーであって、
角川は当時既に少女ファンタジー界で絶大な人気を誇っていた前田珠子さんを起用する事で、
男性向けに偏りがちなスニーカー文庫の読者層拡大を図ったのです。
実際に「隻腕」を読んだ人も8〜9割は女性ではないでしょうか。
そんな「隻腕」をどうして私が読んでしまったのか。
理由は簡単。
表紙も中身も何も見ないで買ったためです。(汗)
普通、本を買う時は表紙くらいは見るものですよね。
ところが当時、私は古本屋でカバーの無くなった角川スニーカー文庫や
富士見ファンタジア文庫を3冊100円で山のように買ってきては、
山のように読んでいたのです。
そんな中に偶然(でもない?)「隻腕」の1巻が紛れ込んでいたとして、
誰が責められましょう?
そしてある日、私はとうとう「隻腕」を読み始めました。
その内容は、少年ファンタジーしか読んでこなかった私にとって非常に奇妙なものでした。
内向的な主人公カーデューア君は、自分の性格の欠点に薄々感づきながら、
具体的な行動を起こせない。
もう一人の主人公ケイファスタン様は金髪碧眼の王子様なのですが、
愛する妹のためなら世界が滅んでも構わないと本当に本気で思い込んでる、
現実にいたらアブナイシスコンお兄さん。
ヒロインのナルファイアは、黙って座っていればお姫様だけど、
一度口を開くと全然ファンタジーのヒロインらしくないセリフを連発する。
影の主人公エリスラルド/ディーリーヤナは途中で性別が入れ替わっちゃうし、
それがあんまり違和感がないところが、また怖し。
憎まれ役のカイダールでさえも、話し相手が変わると意識的に人柄を変える、影のある人。
淡々とした文体とは裏腹の全体を彩る耽美な雰囲気。
漫才の様な会話とその陰でのどろどろとした駆け引き。
トラウマ、エゴイズム、劣等感、先入観。
当時の少年ファンタジーではまず見られなかった深い心理描写。
これは読む人を選びます。生理的に受け付けない人と、どっぷりとハマる人と。
私は後者でした。
古本屋に続巻を探しに行くと、あるわあるわ。
どこの古本屋にも山のように置いてあることに気付きました。
売れていたんですね、このシリーズ。
その時、表紙カバーが、大の男が読むには非常に恥ずかしいものであることにも気付きました。
恐らく、いや確実に、あの時の古本にカバーが付いていたら、
私は「隻腕」を読む事はなかったでしょう。
それでも迷わず全巻揃えて、周囲の冷ややかな視線にもめげずに読み続け、
そしてラストは不覚にも泣いてしまいました。
「ロードス島戦記」や「スレイヤーズ」だけがファンタジーじゃない。
少年ファンタジーとは違う、「少女ファンタジーというもう一つのファンタジー」があることを
思い知らされた出来事でした。
しかしその後、私が急速に少女ファンタジーに傾倒して行ったかというと、
そういう訳でもありません。
その理由は、私の目の前に「ブギーポップ」と「ラグナロク」という、
これまたとてつもなく変った作品が出現したからなのですが、
その話はまた別の機会にいたしませう。(お粗末)